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Nov 7

デザインとは「よりよく生きるための方法」であり、
アートとは「なぜ生きるのか」ということ自体から考えることである。

by 佐藤雅彦 (暮しの手帳6月号「考えの整頓」より)

デザインとアートの違い « じだらく (via hina)
2010-08-08 (via gkojay) (via usaginobike) (via ibi-s) (via flatmountain) (via sonus) (via yasuhirochida) (via halfway) (via an-k) (via chordstriker) (via milkmeta) (via yuasa)

Oct 24

「学び」を可能にするのは、この「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。

この力がなければ、子どもたちは「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能」だけを選択することになる。

そして、「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能だけ」では私たちは困難を生き延びてゆくことができない(それが「子ども」という言葉の定義である)。

私たちの社会が組織的に破壊してきたのは、子どもたちの中に芽生えようとしているこの「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。

マイケル・ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ。

学びと暗黙知 (内田樹の研究室)


先行研究をまとめる5つのプロセス、陥りやすい3つの罠

このところ、某書籍の編集を合間を見つけてやっています。この本、中原研の大学院生との共同研究をまとめた専門書で「職場学習の探求」(生産性出版)といいます。おそらく春までには書店にならぶものと思われます。

嗚呼、「これでもか、これでもか、ひぇー、もうカンニンしておくれやす」的に送付されてくる原稿(?)をしこしこ読んでいて、きちんと、大学院生に指導をしていなかったな、と反省したことがあります。ごめんよ、みんな。

それは「先行研究のまとめ方」ですね。原稿の中には、あきらかに僕の指導不足だったものが含まれていました。ついつい、うっかりしてたよ。うっかりはちべえ、最近、見ないね(笑)。

以下、それについて書きます。「偉そうに、オマエさんが言うんじゃない、オマエもまだまだ修行中だ、ヴォケ!」というツッコミも聞こえてきそうですが、ごめんなさい、頑張ります。でもね、ケツ青いんですが、僕も研究指導をしなきゃならんのです。そういうわけで、敢えて、深く深く自戒を込めて、下記、述べさせて頂きます。



先行研究をまとめるときに陥りやすいケースNo.1は、「あれもあります、これもあります、こっちは、こんなことをやってます」的に、いろいろな先行研究が脈絡なく「並べられてる」かたちのものです。「脈絡なく」というのがポイントです。要するに「並べた」だけ。
僕は、このタイプを「食い散らかし型」と呼んでいます。先行研究は「並べる」のではありません。

このタイプに陥っている場合、文章に頻出する「接続詞」があります。もし、あなたの先行研究のまとめにその接続詞が頻出しているようであれば、「食い散らかし型」に陥っている可能性は「ゼロ」ではないかもしれません。もし論文あったら、チェックしてみて。

「食い散らかし型」に頻出する接続詞は、「ちなみに」「さて」「ところで」です。さすがに「話を元に戻すと・・・」はあまり見られませんが(笑)、これらの接続詞を用いれば、これまででてきた話と少し違う話を、そのあとで続けることができます。
逆にいえば、これらの接続詞が先行研究のレビューにおいてでてくるということは、逆接でも、順接でもなく、文章がつながってしまっている状態、すなわち、「羅列」になっていることを意味します。

極端な話、

中原(2008)は・・・・といっている。
ちなみに
佐藤(2007)は・・・・といっている
ところで
鈴木(2006)は・・・・といっている
さて
高橋(2009)は・・・・といっている
やっぱり
中原(2008)は・・・・といっている(笑)

・ 

という感じで、ナンボでもつながるんですね。
これは避けたい。

さらに深刻なのは「接続詞がなく先行研究が羅列されている状態」ですが、こちらもたまーにあります。
ポイントは、「中原(2008)」「佐藤(2007)」「鈴木(2006)」「高橋(2009)」で述べている内容に、何の意味的連関もつけられていないことです。

中原(2008)は・・・・といっている。
佐藤(2007)は・・・・といっている
鈴木(2006)は・・・・といっている
高橋(2009)は・・・・といっている

これを避けるためには「意味的連関」をつければよいのです。

中原(2008)は・・・・といっている。
中原のいっている・・・は・・・だけど、それと違うことに佐藤がある
佐藤(2007)は・・・・
佐藤は・・・であるが、それと類似するのは鈴木である・・・
鈴木(2006)は・・・・といっている

という風にね。

順接であれ、逆接であれ、その「意味的連関」を探すことが、「先行研究のレビュー」という作業です。繰り返しになりますが、先行研究のレビューというのは先行研究を「脈絡なく並べること」ではありません。先行研究同士の「意味的連関を探し、それを述べること」なのです。

次に陥りやすいケースは、先行研究を読んでいるうちに、結局、どんどん問題が発散していくタイプ。これは「カオス型」と読んでいます。
もしかすると、「オレ、ちゃんと勉強してるってこと、そこんとこ、わかっといてよね、4649!」という感じでのアピールがあるのかもしれません。なぜなら、全然関係ないものまで引用されてる場合もあるから(笑)

本来ならば、少しずつ少しずつ、問題がフォーカスされていかなくてはなりません。読み込んだ複数の先行研究をつなげて、ひとつのストーリーにして、最後の最後の1点においてリサーチクエスチョンにつながる。

ストーリーにするときには、先行研究同士の共通点、違いなどを見つけて、グルーピングしたり、対照させたりするとうまくいく場合が多いです。

例えばね、こういうかたちで、グルーピングしたり、対照させたりします。

—-

先行研究を概観し大別すると、3つの異なるアプローチが見いだせる。

第1のアプローチは・・・である。例えば中原(2010林(2001)は・・・
共通点は・・・である
第2のアプローチは・・・である。例えばTAKUZO2010和田(2005)・・・
共通点は・・・である
第3のアプローチは・・・である。例えば高橋(2010….三橋(2011)・・・
共通点は・・・である。

第一のアプローチ、第二のアプローチ、第三のアプローチの差異は・・・である。しかし、において共通点は見いだせる。よって、わたくしめの研究では、ここを研究してみたいですぅ、いいすか?

—-

要するに、先行研究の共通点、差異点をみつけて、「構造」をつくるのです。くどいようですが、先行研究は「並べる」のではありません。「意味的連関を見つけ」をして、願わくば「構造」をつくると、自然と「フォーカス」が絞れるようになります。
もちろん、上記以外にもやり方は無限にあります。上記は、あくまでイメージをつくるために、敢えて「戯画化」して書いてます。ですが、言いたいことはおわかりいただけるかな、と思います。

でも、そうした作業を通して、すこしずつすこしずつ問題領域を絞っていきます。自分がとかなくていい問題、もう既に解決されちゃってる問題をオミットしていきます。

そして、究極の「1点」に問題をしぼりこみます。
1点」がポイントです。

なぜなら、

One paper, One research question, One conclusion

が原則だからです。だから、先行研究からリサーチクエスチョンにつながるところは、1点に絞ることが求められます。

その1点でリサーチクエスチョンにつながる瞬間では、

「このリサーチクエスチョンを解くことが、私にとっては運命だったんだ、この運命には逆らえないわ、アミーゴ」

というような状態になっていなくてはなりません。

神々しい感じなんだよな、リサーチクエスチョンとつながるときは。あまりにも必然、あまりにも必然という感じで、この1点に絞るのです。

「この問題を解くために、オレは生まれてきたんだ!」

という感じで、今まで先行研究をレビューしてきたことの努力を、1点で昇華させるのです。

そう、リサーチクエスチョンとは、必然的な、あまりにも必然的なものなのです。これを解かなくては、わたくしめは、「どうにも、こうにも、にっちも、さっちも、たまりまへん、かんにんしておくれやす」という感じ(?)の、「たった1つのこと」を探す作業です。

最後によくおこるのは、「あれもいいよね、これもいいよね」的に、先行研究がとりあげらており、きちんとした批判がなされていないものです。僕はこのタイプを「みんな違って、みんないい型」と呼んでいます。

「みんな違って、みんないい」が通用するところは世の中で多いのかもしれませんが、研究の現場では、通用しません。きちんとした「批判」をひとつひとつ丁寧に行っていく必要があります。

じゃあ、「批判」をするとはどういうことか。それはよいところを評価し、きちんと課題を見つけることです。こういうところは注力できているけど、ここを見逃している、と、先行研究をリスペクトしつつ、きちんと評価することです。

他人の研究の「重箱の隅」をつついて、「ここにこんな穴があるから、オマエの研究、全部ダメじゃ、ボケ」的な先行研究の批判をたまにみかけますが、そういうのは僕は好きじゃありません。文章に「知性」が感じられません。

確かに、研究には「攻撃性」が必要です。

今まで誰もやらないから、オレがすんのや! なんで、今まで、こんなアタリマエのこと誰もやってないねん!ヴォケ、だったら、オレがやるほかないやろー!

というような、ある種の攻撃性や怒り。

でもね、その攻撃性や怒りを発揮する前に、しかし、他人の研究をいったんアクセプトし、リスペクトしてうえで、褒めるべきことを褒め、課題を述べる。これが、僕は「知性」だと信じます。

研究とは「スポットライト」に似ているのです。
ある場所に光を当てて、強くそこを照らし出すことは、光が当たらない場所に「漆黒の闇をつくりだすこと」なのです。
でも、漆黒の闇があるからこそ、光のあたる場所がハイライトされます。

「テメーの研究、ここに闇あんだろが、ヴォケ!、だから、オマエの研究、全部意味なし!」

みたいなことを言っていると、私たちは、先達が苦労して苦労して「光を当てた部分」を見逃します。そういう知的態度に、僕は「知性」を感じません。なんか、もったいなくない? 僕はもったいないと思います。

要するに、先行研究をまとめるときには、5つのプロセスなのです。
自戒をこめて、便所スリッパで後頭部をひっぱたかれそうになることを覚悟して言うと、こんな感じ。

1.【コレクション】
まず数多くの先行研究を集める

2.【クリティーク】
きちんとした批判的な読解をした上で

3.【ストーリー】
それらを「ひとつの筋(ストーリー)」にする
ストーリーにするときの前提は、先行研究同士の共通点や違いを
みつけ、それらをグルーピングしたり、対照させたりして、
あたかもひとつの物語のように配列します。
くれぐれも「並べただけ」にしないようにすることが大切です。

4.【フォーカス】
ほんでもって、少しずつ少しずつ話を狭めていって

5.【コネクション】
最後にリサーチクエスチョンにつなげる
あくまで1つのことで!!!

もちろん、僕も勉強中なので、まだまだ先行研究の読み込みは下手くそなのですが、こういうことでした。

先行研究のまとめっていうのは、一番難しい部分なのです。たぶん、すでに博士号を取得し、職業研究者になっている先生方でも、先行研究のまとめには、ある程度、苦労なさるのではないでしょうか。
正直に告白しますが、少なくとも僕はそうです。「オマエと一緒にするな」と便所スリッパで目つぶしされそうですが、僕は、今でも困難を感じます。そして「劣等感」を感じます。逆に、それが予想外にうまくいったときは、かなり気分が楽になります。先行研究のまとめ、すなわち、自分の研究の意味づけ・位置づけってのは、「みんなの課題」なんだよ、きっとね。

もちろん、分野によっても違いがあると思いますので、上記は、あくまで僕の専門の話であることを付記しておきます。

そして人生は続く!
院生諸氏、もうすぐそこだ!
一緒に頑張ろう!


アイデアを思いつくときのが舞い降りてくる感覚を合理的に説明している。そしてそのエウレカ!な瞬間はどういう場所に訪れるのか?、ポランニーはこう答える。

「(1)発見を触発して導く場は、より安定した構造の場ではなく、「問題の場」である。(2)発見が起こるのは、自然発生的ではなく、ある隠れた潜在的可能性を現実化しようと「努力」するからである。(3)発見を触発する、原因のない行為は、たいてい、そうした潜在的可能性を発見しようとする「想像上の衝迫」である。」

形式知は暗黙知という巨大氷山の一角であり、たとえ自分の知識を書き出せる限り全部文字に書き出しても、なお知の本質的な大部分は隠れている。インターネット上に現れる知は膨大だがすべて形式知である。水面下にあるInvisibleな膨大な知をどう引き出すかが次の知の構造化の課題だ。「想像上の衝迫」はたぶん、活発なコミュニティの中にあるように思う。

情報考学 - 暗黙知の次元


もし他の人に見えてはいなくても、自分だけに見えているものがあれば、それをずっと見続ける努力をしていくこと。というようなことを中川幸夫さんが言ったそうだ。

Twitter / yoshitomo nara

自分の中で言語化してない思想は周りの環境に合わせて簡単に変えられるからな。言葉は呪いだよ。

東大生が語る頭のいい人論 カナ速


「デザインのもっともありふれた一面、もっとも容易なものはスタイリングである。それは、芸術的な衝動をもつ人たち、ちょうどロマンティックな名作にマークを描き入れでもするかのように、自分たちの作品に大様な筆跡でサインする人たち、またいつでも口の中に、詩と芸術の言葉がいっぱいに詰まっている人たちの活動範囲のものである。スタイリングは工業デザインのやり方の一種であり、またデザインのもっともはかない、浅薄な一分枝である。それは流行のうわべを飾るものであり、何であれ、何かのものに現代的なルックを与えるに過ぎないものだ。スタイリストは目まぐるしいうつろいのために制作し、その時の気まぐれからアイディアをとる」

創造への繋がり 30 『芸術としてのデザイン』 /評者 深澤直人(デザイナー) 


わかりにくいものをわかりやすく、わかりやすくしたものを深く考えて、深く考えたものを明るく表現して、明るく表現したものをまじめに伝える。

青木克憲 - kokokubeta; 


RÓMULO CELDRÁN

Macro VIII. Poliestireno, cartón y plástico policromados. 180 x 117 x 45 cm. 2009

デザイナーが良いデザインができたと感じるとき,そこにはいつも「良さを知っていた自分」を感じる。この「自分」は良いデザインにたどり着く前には感じることができないにもかかわらず,良い結果にたどり着いた時にはすでにその良さを以前から知っていたような感覚に取って代わられ,それに気づかなかった「自分」を思い起こすことができなくなる。こうした一種の知識の再構築といった作用は,デザインに限らず,あらゆる創造活動において普遍的に起こっていることであろう。「良いデザインにたどり着く」ことを「ひらめき」と言い換えれば,「ひらめく」という作用は,「既に知っていたことの再構築」作用だと言えるだろう。先の原田の説明にでは感性という高次脳機能の例として「ひらめき」が挙げられているように,ひらめきは「感性の働きの結果として我々が知る」ことを表すことばとして重要なものである。 一般に学習や体験は,意識化するあるいは他人に伝えることが出来る形を取る前にすでに暗黙的な知識として蓄えられている必要があり,感性の働きはこの暗黙的な知識=「すでに知っているが知識として取り出すことが難しかった」知識を基盤とする直感的な論理化作用または形や仕上げなどの表現を結ぶプロセスと考えられる。

感性認知脳科学的視点から考える感性価値創造

http://dqi.id.tue.nl/docs/pdfs/2010_Yamanaka_Levy_KanseiScience_japanese.pdf


絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。

ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。

もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。

MORI LOG ACADEMY: 「上手い」とは何か

何をテーマにするかは、世界をどういう視点で見ているかっていうのと同義。

素晴らしい。

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きれいなもの、ぱっと見れば見た瞬間は気持ちいいです。が、2回見ますか? 不思議と2回、3回見ていいものは、きれいなだけのものでは絶対にないんですよ。そこは忘れていただきたくない。

「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5) - ITmedia News


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